さて、ここからは番外編。愛鳥塾の後半メインはペットロスの講義でした。ペットロスとは何ぞや、どういう段階を経るのか、といった内容を、講師の方ご自身の体験を交えてのお話でした。ペットロスのお話も自分の身に置き換えると、考えさせられることばかりです。私は未だペットロスの中にいて、こうやって足掻いているのもそうなのだなあと、しみじみ思います。

私自身、精神福祉の現場にちょこっといたり、カウンセリングの勉強もかじったことがあったのでペットロスのお話でもでてきたグリーフケアとかも知識はあったのですが。これがまた自身の身に起こると全くと言って役に立ちゃしなかったんですよね。「自分が今どういう状態か」知識によるor客観的視点はあるんだけれど、全くもって感情と心がついていかなかった。
今現在もそう。たまたま講義翌日が3月11日。あちこちでグリーフケアの話的なものを
見聞きしたんですが、やっぱりそばで傾聴して寄り添ってくれる存在・場所が必須だと思いました。実際、する側はすごく難しいと思うのだけど。阪神の時も東北の時も友人にどう接したらいいか本当に悩みました。傾聴する、寄り添うって言葉で言うのは簡単だけど実行するのは難しい。でも少しずつでもいいから努めてゆきたいと思います。

私は阪神の時はまだ鳥さんと一緒ではなくて。被害の大きい地域でもなくて。でも本当に何か動物的な勘というか本能というか、それで大怪我orしぬことから間一髪、免れたのです。小学生の時、丸っと東京の田舎に住んでいて、純粋なナニワっ子でなく地震の経験があったことは大きかったです。後は何とも言いようがない「運」としか言いようがないこと。たまたま友人が泊まりに来ていて、たまたま寝室にしていた和室ではなくリビングのコタツで雑魚寝していて、たまたま明け方に目が覚めて。その重なった「たまたま」に助けられました。和室のベッドの上の枕の上に、和室用照明が落っこちて枕直撃したんですよ。他の被害はそんなに大きくなかったですが、一人で熟睡してたら頭部直撃コースでした。今は落っこちないように鎖みたいな器具も発売されています。和室照明、危険ですのでご注意を。

小さい頃から病弱だったので三途の川を渡りかけたことも何度か。小学生の時に一緒に
暮らしていたわんこが、夢の中で遊びに来てくれました。いわゆるお花畑体験。まあ
夢と言われればそうなんですが、久し振りに会えたのは嬉しかったな。
幼稚園の時、目の手術で二回ほど入院したのですが、大昔の田舎の総合病院のことにて、小児病棟ではなく一般病棟でテレビは待合室にしかありませんでした。沢山の大人の方が遊んで下さり、かわいがって下さいました。そんな方々が、ある日、突然いなくなってしまう。子供心にせつなかったのをとても良く覚えています。

いのちというのは、本当に儚く、日々をどれほどたいせつに生きねばならないのか。
助けてもらったor生かされたのだから、何がしかに使わねばね。とりあえず今は
ローリー・ロリキートのために動き続けますよ。ウロコのよもぎさん、スミるりをさん、あおいさんから教えてもらったこと、引き継いで伝えてゆけるように。わすれないからね。