ちょっと間があいちゃいました、毎度のことながらスミマセン。季節の変わり目に弱いのと今年は暑くて桜が早く開花したせいで少し体調不良だったこと、持病の腰痛で椅子に座るのが辛くて。

・・・やっぱり桜の花を見ると、色々と思いがあふれてくるのです。初代スミインコ、るりをさんとのお別れに深く結びついていますから。せつない。

桜の花自体はとても好きで、演劇活動をしている時はよくモチーフとしても使用していました。でも、今はお花見だと浮かれるのはちょっぴり苦しいのです。ウロコのよもぎさんを失ったのは新緑の若葉の頃。二代目スミインコあおいさんを失ったのは若葉が馴染んだ初夏の頃。春から初夏にかけては、私が少し不安定になる時期です。「そういう時期」だという自覚があるのでマシです。

前回も書かせて頂きましたが、私はずっとペットロスのただなかにいるのだと思います。自覚がないままだと、ただひたすら沼の底に引きずり込まれるようになってゆくでしょう。自覚があるから、色々とセーブすることもできます。理由の分からない不調ではないということは、重要だと思います。時期を過ぎれば多少なりとも回復するということもわかっていますから。

私のローリー・ロリキート講義がペットロス講義の前座であることはお話させてて頂きましたが軽くそちらにも触れておきますね。

まず「ペットロス」とはどういう状態を指すのか?

ジョン・ボウルビィというイギリスの精神科医・精神分析学者が提唱した喪の4段階(悲哀の4段階)を紹介されておられました。(私が知っているのと少し違うかな?と思ったのですが、どうやら日本のグリーフケア協会の日本の悲嘆反応についてのものと同じっぽいような。)ボウルビイは一連の心の過程をモーニング(mourning)喪・悲哀と名付け、悲哀の過程の中の落胆・絶望・苦悩についてグリーフ(grief)悲嘆と名付けました。

①無自覚・情緒の危機
喪失を受け止められず急性ストレス反応を起こしている状態

②思慕と探求・怒りと否認
喪失を受け止め始めるが強い思慕の情に悩まされる。深い悲嘆が始まる。しかし未だ
喪失を認めることができず、強い愛着がある状態。フラストレーションから怒りも。
喪失を認めさせようとする者に怒りを抱いたりする。その怒りは愛着の対象に「どうしておいていったのか」と向けられることも。後悔や自責の念に苛まれる。

③断念・絶望
喪失を受け止め愛着を断念。失った存在との関係を前提に成立していた心の在り方や
生活が全て意味を失い、絶望・失意・抑うつ状態が支配的になる。免疫力の低下等、
身体への影響も。孤独に苛まれ人と関わることを避けることも。

④離脱・再建
愛着がやわらぎ、思い出がおだやかで肯定的になり、新しい出会いがあることも。
新しい関係や環境の中で再建の努力が始まる。希望を見出す

この過程がきちんとこなされていけば最終的に回復されると言われます。この段階を
揺れ動きながら複雑に心は進んでいくと。まあそう簡単にいく訳じゃないですし、
人それぞれ、その段階や費やす時期も様々だと思います。
このボウルビイ以外にも喪失から悲嘆に関わる段階は色々と提唱されていますし。
本当に、そう簡単にいくもんじゃない。

この様々な喪失から悲嘆の段階がうまくいかない場合、「正常ではない」と判断されます。二週間以上続く不眠、食欲不振、体重の増減、無気力、抑うつ状態、消化器等の症状等。この辺りはいわゆる「うつ病」に近い症状ですね。ペット(という言葉はあまり好きではないですが)だけでなく人間を失った時と同じです。こういう時はプロの手を借りることも重要だと思います。身近な人間だけではどうにもならないこともあります。特に身体症状は何とかしないと生活に支障をきたしますし、心にも大きな影響を与えます。眠れないと心身ともにダメージを与えますから、睡眠は必須です。食欲不振もそう。食べなければ元気も出ません。おなかを壊してしまったら、体力消耗の上に栄養が摂れません。これらはお薬の力を借りれば多少は助けられます。反対に難しい&理解されにくいのが過食と過眠。お薬の力を借りることが難しいので、こちらは本当に心のプロの力を借りるしかありません。最近は、うつの症状として紹介されることもありますが、食べ過ぎる、寝過ぎる辛さはなかなか共感されることがないので本人は余計に辛いと思います。もしも、そういう方が周囲におられたら決して否定したり責めたりしないであげて下さいね。なりたくてなった訳ではないですし、本人が誰より一番、辛いのです。辛いからなっちゃうのです。

何でそう簡単にいかないんだ?何で回復できないんだ?というのには幾つか理由が
あげられています。

・予期せぬ別れ
・悲嘆の抑圧(ちゃんと悲しめない)
・強い愛着と依存
・死因の情報・遺体の状態(明らかでなかったり、損壊していたり)
・長期の看護
・死因が他者にある場合
・過去の喪失体験の有無
・個人のストレス耐性
・周囲の無理解

勿論、これらがあっても回復することもありあすし、何度も言いますが、ホント人それぞれ。

ただ、大切なことは、この悲哀の段階、悲嘆の感情を我慢しない、ということ。克服するものではない、乗り越えるものではない、ということ。我慢せずに泣いて悲しんで頑張らないで休んで話を聞いてくれる人がいれば話して、気が済むまで。何度でも。そんな自分を否定しないで。逃げたい時は逃げたっていい。無理をしないで。早く回復しようとかしないといけないとか思わないで。元気に明るく振舞おうなんて思わないで。
悲しんでいて、いいんです。愛していて、いいんです。

「ごめんね」が「ありがとう」に変わる日が来ることを。いつか。
笑顔だけが思い出され、その時、自分も笑顔でいられることを。いつか。
・・・これらを、心から願っています。(自分にも言い聞かせてる)

あと、紹介されていたのはアメリカの臨床心理学の教授、ウィリアム・ウォーデンの
「喪失の四つの課題」です。

①喪失を認める
②喪失の痛みと向き合う
③喪失後の生活に適応する
④喪失を記憶にとどめながら、永続的なつながりを見出す

四つ目は大切なことだと思います。どんな形でもいい。手紙を書いたり、思い出の品を
時々取り出したり、誰かに話すだけでもいいと思います。どんな形でもつながっているのだと思うことは、安心できることだと思います。

講義では、これらのお話を体験談を交えてされておられました。元々、ペットロスカウンセラーだけでなく、人間を相手のカウンセリングをされておられる方のようで、お話は上手でした。知識だけは先走ってる私はちょっと物足りないところもありましたが(これは仕方がない、自分の講義の時もお初の方からローリー・ロリキート飼いさんまで網羅するのは大変でしたから)興味深かったです。何がおかしかったって、講師の方も「ローリー・ロリキートとの抱き合わせ」だからと、ちょっと勉強しようと思ったら「ヘンなインコと暮らしています。」しか本がなく、「これは面白い!みんなに紹介しなきゃ!」となっていたのに私が先に講義で紹介しちゃったので「OH・・・」となってしまったとか(笑)。でも、ご本の素晴らしさをすごく力説して下さったので、ごめんなさいと思いつつ、もっとやってー!と心の中で応援してたのでした。

・・・で、まあ、ここまで読んで下さった方は私がまさしく「ペットロスのただなかにいる」とおわかり頂けたかと思います(笑)。喪失の四つの課題の四つ目、これがきっと私が長い間ローリーローリー言い続けている理由なのでしょうね。失ったこたちの思いを無駄にしたくない、引き継いでいきたいと思っているのは。

よもぎさん、るりのさんを失った直後は本当にひどいもので、眠らず飲まず食わずで
部屋でただひたすら、ぼーっと座り込んでいました。見かねた友人がコンビニで
ポカリと塩むすびを買ってきて、手渡していったのです。口にしたいという気持ちは
なかったのですが、折角の友人の思いを無下にするのもと仕方なく口にしました。
ただの塩味のおむすびが、こんなに美味しいと初めて知り、心はともかく体が
生きることを思い出し、私はそんな自分を責めました。何でこんな自分ばかりが
生きるのか。生きていていいのか。でも、一度、思い出した体は生きることを忘れません。よろよろと立ち上がった私は、ローリー・ロリキートについて調べ出しました。
生きるのなら。生きてゆかねばならないのなら。勇気を出そう。あのこたちのために
歩き出そう。そう、思って。

正しい回復の仕方かどうか、それはちょっと疑問だと自分でも思っています。
依存や愛着がひどいのだと、自覚もあります。

でも。まあ。それはそれでいいんじゃないのかな。他の鳥種について、詳しい人も
頑張ろうと思っている方もたくさんおられます。でも、ローリー・ロリキートに関しては当時、少なかった。こんな私でも、何かしら動くことで何某かになれば。きっかけになれば。

私自身が調べたこと、思っていること、やっていることが正しいとは限りません。
刻々と変化していっているでしょうし、まだまだわからないことだらけです。
これからも、もっともっと、向き合っていこうと思っています。

ペットロスについても、勉強したい欲はありますし、何かできればなあと、ぼんやり
思っています。傾聴と寄り添い。難しいことですが、絶対に必要です。しかも持続的にです。持続的ということは特に。いつどこでも、いつまででも、悲しみというものは続きます。あとSNSが発達して、吐き出しやすい部分と吐き出しにくい部分があるように思うのですよね。匿名で、いつでも安心して気持ちを吐き出せる場所は必要なのかなあと。話すこと、言語化するということは大事です。私自身、鏡のようになってくれて話を聞いてくれる人がいて、「あっなるほど」となることが多いです。自分で自分の気持ちに気付く、発見するということは納得でき、説得力もあるので、とても大事なことだと思います。

時間はかかるかもですが、具体化出来たらいいなあ。

そんなこんなで、今回の愛鳥塾は本当に色々と勉強できるいい機会でした。
パソコン知識(普通に比べればちょっとですが)、ローリー・ロリキートについて、
ペットロスについて、自分の未熟さについて等色々。有り難い、得難い経験でした。
活かしていかなければです!